■人に頼まれると「イヤ」と言えない

イヤと言えない真実。
 

寺島さんの「被害者で居る間は、実は自分の人生に責任を持たなくて楽。

そして、どんな苦境だろうと被害者の立場にいると人生は変わらない。」

 

という話をきいて、なんだか自分が惨めな気持ちになりました。

もう、こんな自分を手放してもいいころなんだろうと思います。
 
 
クライアント(以下、CL)
いつも、押し付けられて自分ばかりが貧乏くじをひいています。
合コンに誘われると、いつの間にか幹事になってお店をさがします。
気に入ってくれるか、文句を言われないかどうかがとても気になります。
それによって、もしドタキャンされたりしたら大変だと思うと胃が痛くなります。
会が始まっても、みんなが満足してくれているか気になって楽しめません。
友達は声をかけてくれるけれど、いつも手伝ってはくれません。
 
もうこんな自分がいやなんです。
 
 
寺島)
そうですか。
気になることがあるので質問してもいいですか?
 
 
CL)はい。
 
寺島)
手伝ってはくれません。とおっしゃいましたが具体的に「お会計をてつだって」
とか「会場探しをてつだって」と依頼したことはありますか?
 
CL)いいえ。だって、みんな働いているし、きっと仕事もいそがしくて時間もないと思います。
 
寺島)そうですか。あなたは、そう考えているんですね。
 
CL)はい。そうです。
 
寺島)そして、誰にも頼んでいないんですね。
 
CL)はい。そんな状況だったら頼めませんよね。
(眉間にしわを寄せてキッとみつめる)
 
寺島)ええ、もしあなたの考えている通りだったとしたらそうかもしれませんね。
実際に頼んでみないと、相手がなんと答えるかはわかりませんが。
そして、事実は「確認していない」ですね。
 
CL)はい。(怪訝そうに)だって頼めませんよね。
 
 
 
寺島)
今、お話をお聴きしていてわかったことは、
あなたは、いつも手伝ってはくれないといいながら実際に頼むことをしていない。
そして、相手の都合を想像して自分一人でしているということですね。
 
 
CL)はい。だってみんな忙しいから仕方がないですよね。
 
寺島)あなたの考えが当たっていれば、そうかもしれませんね。
そして、他の人は合コンに来る時間はあるんですよね。
 
 
CL)はい。。。だって約束ですから。
 
 
 
寺島)あなたは、そうやって周りの人の都合や気持ちを考えて、いつも犠牲になっているんですね。
 
CL)そうなんです!良いように利用されて、私はいつも使い回されているんです。
 
 
寺島)あなたは、本当にその立場を手放したいですか?
 
CL)はい。もう嫌です。
 
 
寺島)そうですか。あなたは、いつ頃からこうして周りの人の都合や気持ちを考えて、犠牲になっているんですか?
イヤと言えないのは大人になってからですか?
 
CL)いいえ。中学校の時には既にそうでした。
 
寺島)中学生の頃が最初ですか?
 
CL)いいえ。いつも私が犠牲なっているこの感覚は、小学校1、2年生の頃には既にありました。
 
寺島)そのころの、えいこ(仮名)ちゃんに身を置いてみてください。
えいこちゃんは、本当に嫌なのかな?
 
CL)ううん。違います。
すごく役に立っている気がします。
こういう自分は好きです。
 
 
寺島)そっか。
役に立っている自分がすきなんだね。
誰の役に立っている自分が一番好き?
 
 
CL)お母さん。
 
 
寺島)そっか。お母さんの役に立っている自分が一番好きなんだね。
もし、お母さんの役に立たない自分になったら、どう?
 
 
CL)絶対イヤです。
だって、そんなの辛くて耐えられない。
 
寺島)そうだよね。絶対イヤだよね。
なにが辛くて耐えられないの。
 
 
CL)。。。。。。。。。。。
(うつむいたまま、黙り込む)
 
 
寺島)辛いね。
 
 
CL)
(うん、とうなずき、カラダを固くして震えだす)
私がお手伝いをやめたら、お母さんがわたしのことを見てくれなくなる。
 
 
 
寺島)いつまで、お母さんの役に立つ為に犠牲になり続けるのかな?
 
 
CL)本当はもうイヤです。
でもイヤと言ったら、お母さんは私のこと見てくれないし、離れていってしまいます。
本当は、こんなことしなくても、お母さんにそばに居て欲しい。
 
 
寺島)そうだよね。本当はこんなことしなくても、お母さんにそばに居て欲しいよね。
 
 
CL)うん。(涙)
 
寺島)そして、お母さんを手伝っ(役に立っ)たら、お母さんはそばにいてくれるのかな?
 
CL)。。。居てくれない。お母さん忙しいし「ありがとう。これもお願い」って言ってくれるだけ。だから、もっとお母さんを手伝ったら、きっとお母さんは忙しくなくなって、そばに居てくれるようになると思います。
 
 
寺島)それは、ほんとうかな?
 
CL)。。。。。(下を向いて、沈黙)
 
 
寺島)えいこちゃんは、お母さんにそばに居てもらうためだから役に立つ為に自分を犠牲にし続ける?
いつまで続けたら、お母さんはそばに居てくれるようになりそうかな?
 
 
CL)。。。。。なんか、いくらやっても違う感じがします。
 
CL)お母さんが私がどれだけ手伝ってもそばに居てくれないのは辛いけれど、自分を犠牲にするのはもっと辛いです。
 
 
寺島)そうだね。自分を犠牲にするのはもっと辛いよね。どうする?まだ続ける?
 
 
CL)もう止めます。(カラダの力が抜けて深い悲しみを感じている様子)
 
(以下略)
 
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この女性がイヤと言えないのは、当然のことですよね。
 
なぜなら、誰かの役に立つことに『お母さんが「ありがとう」と言ってくれる』こと『側に居てくれるようになるかもという期待』がひもづいているからです。
そして同時に、その期待を手放すことは、役に立たない私はお母さんが側に居てくれなくなる。という恐怖ともひもづいているんです。
 
なので、イヤといいつつ、ちょっと嬉しくもあり、やめられないのです。
 
同じようなケースのセッションをしていて共通しているのは、
 
 
役に立たない自分でも愛される価値がある。
どんな私でも愛される人間なんだ。
 
という感覚をセッションの中で蓄えていくことで「イヤ」と言えたり、自分がやりたければやる。やりたくなければ、断る。という選択ができるようになるということです。
 
 
これは全て、
子供から母親への無条件の愛。
子供が母親に「愛されること=幸せ」
を感じるための選択の結果です。
 
なぜなら、人は愛を感じて幸せになる為にしか産まれていないからだと僕は信じています。
 
 
※クライアント様に許可をいただいたものに限り掲載します。
問題の本質が変わらない範囲で、性別・場所等、個人情報が特定できないように配慮していますが、再配布、転載はご遠慮いただいています。(寺島)